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イザナギ・イザナミの最初の子「ヒルコ」の産屋跡なのか?【歌姫神社】を訪ねる@茨城2025【ホツマツタヱ考察】

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一般に「偽書」とされる【ホツマツタヱ】
そこに記された記紀とはかけ離れた驚愕の歴史に興味が尽きません
ホツマツタヱに書かれている「イザナギ・イザナミ伝承」の舞台は茨城県の筑波山界隈
2025年現在茨城県に居住する私はこれチャンスと思い、「ホツマツタヱ」の謎を考察することがライフワークのひとつになっている今日この頃です

【ホツマツタヱ】とは

一般に「偽書」とされているホツマツタヱは、全てが和歌で表現されているという特殊性がある古文献です
「ヲシテ文字」と言われる神代文字で書かれており、第1章~第40章まであります
第12代景行天皇の時代、景行56年(126年)に大田田根子によって宮中に献上されました
古事記の成立は712年ですから、それよりもずっと古く586年も前になります!
第10代崇神天皇の時代に凄まじいパンデミックが起こり人口が半減してしまいましたが・・大田田根子が三輪山に大物主を祀りこれにより祟りは治まったと言われております
そして第12代景行天皇の時代に大田田根子は再び宮中に現れ、「ホツマツタヱ」を献上しにやって来たそうです・・この時大田田根子なんと234歳!
神代における神々のとてつもない年齢に関しても・・「ホツマツタヱ」にはその説明が記されているのですが・・ここでは割愛することにいたします・・

筑波山の麓【伊佐の宮】で新婚生活を開始したイザナギとイザナミ

6代天神オモタル・カシコネの養子として日本再建を委ねられたイザナギ・イザナミ
イザナギは根国(北陸地方)の皇子として生まれ
イザナミは日高見国(東北地方)の皇女に生まれている、とされています
「君」の呼称は、
「キ」は「木」で男性を表し(イザナ「ギ」)
「ミ」は「実」で女性を表す(イザナ「ミ」)
男神と女神が合わさって「君」となり、これで初めて国が治められていった、とされています
イザナギとイザナミは筑波山麓、伊佐川のほとりに宮を構え、新婚生活を開始しました
「伊佐の宮」にてイザナギ・イザナミは、子作りについて話し合い
そして最初の子供「ヒルコ」が生まれます

「伊佐の宮」で生まれた【昼子】は捨てられた

イザナギ・イザナミの最初の子、「ヒルコ」は記紀に書かれる不具の子「蛭子」ではなくお昼に生まれたから「昼子」、女の子で「昼子姫」と呼ばれました
記紀では「ヒルコ」は不具の子であった為海に流され捨てられてしまいますが・・「ホツマツタヱ」でもはやり捨てられてしまいます・・
しかし記紀と違って、昼子3歳の時・・ちょうどその年がイザナギ・イザナミの「天の節」(厄年のような年)にあたった為・・家庭が不幸にならないようにと泣く泣く昼子を捨てたのです・・
捨てられた昼子は住吉の翁「カナサキノミコト」に拾われて育てられました
「捨てられて 拾たと育つ」
この「拾た」は西宮の「廣田」を意味しており、そこで育てられたことを示唆しているようです
廣田神社の主祭神が天照さまの「荒御魂」
その別名が「天疎向津媛命」(あまさかるむかつひめのみこと)
そして「天疎向津媛命」は天照の正妻で瀬織津姫の別名だということで・・・
非常にややこしいですが・・廣田神社に深く関連があるようです・・

成長した昼子姫は【和歌姫】と呼ばれるようになる

昼子姫5歳の時、「アワの歌」を教えられました
「ア」は天を表し、「ワ」は地を意味します
つまり「アワの歌」=「天地の歌」

アカハマナ イキヒニミウワ フヌムエケ
ヘネメオコホノ モトロソヨ
ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサワヤ

現代人の日本人にはチンプンカンプンな音の並びですが・・
なんでもこの歌を歌うと五臓六腑と魂が整ってゆくんだそうです・・
この歌で若返るから「ワカ」(和歌)
成長した昼子姫は【和歌姫】と呼ばれるようになりました
和歌姫は親友の瀬織津姫と一緒に、今の和歌山県に大量発生したイナゴを歌の力によって撃退したと言われています

日本の始まり、伊佐宮を探せ

今回私は、茨城県は桜川市の地元の物産販売所?のようなお店でたまたま見つけた本がありました
『日本のルーツ筑波山』異説筑波の神々物語
いい・のみち著(プレステン)
その内容が・・これはホツマツタヱに関する話じゃないか?とピンときた私は非常に気になり
実は後で家に帰ってからネットで買おうかと一瞬思ったのですが・・こういう地元モノは地元でお金を払うが良い、と思い直しその物産所で買って来たのでした
ところが後からネットショップ等で検索してもどこにも出てこない・・!
どうやら一般的に売っていない本のようで・・物産所で買うべきとの判断は正解でした!
買ってよかった!!
本の内容は案の定、地元ご出身の方が書いた「ホツマツタヱ」の研究・考察でありました
この出会いはまさに神々が私に巡り合わせてくれたのか・・と思える不思議さであります!
そして著者はホツマツタヱに書かれているイザナギ・イザナミが暮らし始めた地「伊佐の宮」とはどこであったのか、を考察していきます
それによると「伊佐の宮」は現在の茨城県桜川市は真壁町界隈であると推察しています
イザナギ・イザナミの名はそもそも、「伊佐」の地名が由来だと考察しています
そして二神の最初の子、「昼子」=「和歌姫」誕生の地に祀られる神社が産屋跡ではないかとの記述がありました

【歌姫(うたづめ)神社】を訪れる

その【歌姫(うたづめ)神社】を訪ねました

民家の後ろ側にある丘陵に添うように参道があり、立派な明神鳥居が立っていました
『日本のルーツ~』によると【歌姫神社】は太古から羽鳥の家が個人で管理してきたんだと言います・・
これは最大4000年を遡ると言いますから・・驚愕しかないです!
ちなみに出雲大社の富一族や、籠神社の海部氏の家系なども同様では無かったか・・!
この二社からしたら誰も知らない、くらいの筑波山麓のひっそりと鎮座する神社が・・二社と同じような歴史を引き継いでいるというのは驚きでしかありません・・・!

【歌姫神社】は筑波山の男体山の背中側、と言ってよいのでしょうか・・北側に位置して鎮座しています
扁額は「歌姫明神」、明神号ですね

なんとも言えない雰囲気を醸し出す世界観です・・・
緊張しつつ参道を進んでゆくと向こうにお社が見えてきました!

一段高くなった広場にお社が鎮座しています・・
印象的だったのがそのお社の前のスペースの広さです!
なんでもNHK大河ドラマ「風と雲と虹」のロケが行われたことがあるそうですが・・広いスペースでかつての「歌垣」が行われたのでしょうか・・・

御祭神は不明。
ネットの書き込みによると御祭神は「住吉大神」とも「菅原道真公」とも言われている・・云々ありましたが・・これまた歌姫(昼子)を拾って育てたという「カナサキノミコト」にまつわる話でもあります・・

お社に刻まれた彫刻が非常に印象的でした!
しかし、いまいち何が彫刻されているのか非常に分かりにくく・・・鳥?の姿は確認出来るのですが書かれた植物が何なのか・・もうひとつよく分かりません・・
梅?ではなさそうですがこれまた何らかの意味がありそうな彫刻です

ご本殿をまるで玉垣のような木の板で覆っています
注連縄がまた非常に印象的に思いました・・
大根注連縄・・否、細さ的に「牛蒡注連縄」になりましょうか・・・
しかし一般的な「右太左細」ではなく・・左右とも同じような細さになっている注連縄です・・
出雲大社の「左太」でもありませんね・・!

「歌姫明神」と書いてあるのでしょうか・・
文字末尾の右側が注連縄に隠れて見えませんが・・「歌姫」の文字ははっきり見えます

それにしても不思議な神社です・・・
例によって誰一人いませんが・・いくつもの「目」によって監視されているような気がするのは妄想でしょうか・・・

記紀における「蛭子」は捨てられた後成長して帰って来た姿が「恵比寿さん」とも言われています
筑波山神社には摂社になるのでしょうか・・「春日神社」があり、そこには「えびす神」がしっかりと祀られています

「奇書」とも言われる【ホツマツタヱ】ですが・・いわゆる正史である記紀伝承もしっかりと筑波山には残されており非常に謎めいたものを感じざるを得ません

男体山の北側、真壁町羽島に鎮座する「歌姫神社」
上写真の男体山の右側にあたります

『日本のルーツ~』によると「歌姫神社」は祭神不詳となっているが、ホツマを分析するとワカヒメ(ヒルコ)の産屋跡と理解できる、としています
果たしてその真相は?
証明する術がないという点もまた、歴史ミステリー、神話ミステリーの面白さの神髄でもあるようです

今回もお読みいただきありがとうございました
感謝してます

@茨城2025
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