歴史 PR

【大甕神社】|Omikajinja|「宿魂石」に封印された【甕星香香背男】とは何者なのか

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

大甕神社

茨城県日立市の大みか町、坂を上ったロッコク(国道6号)沿いの木々が生い茂る一角に鎮座するのが
式外【大甕神社】(おおみかじんじゃ)
である

大甕神社拝殿


大甕神社は「式外社」であり、延喜式の神名帳に記載されていない
皇紀元年(紀元前660年)創祀というとんでもない歴史があり謎も多い
元々は大甕山上の古宮に祀られていたものを江戸期に徳川光圀公の指示により現在の磐座(宿魂石)の上に遷座され今に至る
御祭神
主神:武葉槌命(タケハヅチノミコト)
地主神:甕星香々背男(ミカボシカガセオ)


何かこちらにせり出してくるような迫力を感じる拝殿には「笑龍」と呼ばれる彫刻が施されており、鳥居から拝殿に向かい歩いていくと彫刻の龍の口が開いていくように見える
これが笑っているように見える為「笑龍」と呼ばれている

笑龍

 

5億年前のカンブリア紀の地層と「宿魂石」

拝殿がこちらに迫り来るように感じる圧の正体は・・その背後に積み上がる岩山「宿魂石」であり・・言わばこの岩山自体が御神体とも言える
なんとこの岩・・日本最古の地層・・
約5億年前のカンブリア紀の地層が露出しているのである!


もはやその一点でここがとんでもないパワースポットであり、縄文古代より信仰されてきた重要な祭祀の場所であるということが伺えるというものである

この場所はちょうどここから阿武隈山脈が始まっている場所で、関東平野の終わりの境目、キワにあたる
やはり境内に安置された「境界石」にもその意味が示されているのではなかろうか

境界石

ちなみにこの「境界石」とは、別名「縁切石」と呼ばれ・・悪い縁を祓って新しい世界へ旅立つという、それを祈念してこの石をくぐるというものだそうだ
悪しき縁を祓って新たな神の世界へと行く・・・その際に古い祝詞の言葉を唱えながらくぐるというもので・・祝詞のお札がおどろおどろしく貼りめぐらされていた・・・

はるべゆらゆらとはるべ ふるべゆらゆらとふるべ

こちらの神社が異例なのはその「宿魂石」の岩場をよじ登って本殿に参拝するというもので
急斜面の岩場には鎖が垂らされていたり・・登山アクティビティ的な部分が参拝者のひとつの魅力となっている

岩山をよじ登って参拝する本殿

「御本殿参道」の標石と石段が参拝者を誘う

カンブリア紀の・・5億年前の地層にご神威を感じる・・・

途中、鎖が垂らされている場所がある

実際には必ずしも鎖を掴まずとも登れるが・・・
いかにも登拝をするようなアクティビティ性は感じて魅力的だ
ちなみに参拝時における注意事項として、パワースポット参拝を最大限に楽しむ為にも以下ご注意申し上げたい

国道6号線から入って大きな神門のある駐車スペースから参拝を始めると、上図ブルーのラインで示したように、社務所の脇を通って進むことになる
真正面に「甕星香香背男社」が見え、「本殿参拝」の表札もある為こちら側から本殿参拝に進んでしまう可能性がある
鎖場のある宿魂石をよじ登る参道は赤で示した場所(拝殿右から登る)にあるので、そちらから参拝されることをおすすめしたい
やはりせっかく大甕神社に参拝に訪れたなら、「宿魂石」をよじ登っての参拝を体験された方がその楽しみも大きいと思うからだ

夜暗い時間に参拝しても・・そのカンブリア紀の岩石の色は不思議と分かり
夜の闇に鈍く光る緑色の岩石にご神威を感じる・・

そしてこの岩山をよじ登った頂点にご本殿があり、そこに祀られてているのが御祭神
倭文神【武葉槌命】(タケハヅチノミコト)である

ここに、「大甕神社」がとんでもないパワースポットである所以の神話、伝説がある

まつろわぬ悪神【甕星香香背男】(ミカボシカガセオ)

大甕神社の御祭神は
主祭神が本殿に祀られている【武葉槌命】(タケハヅチノミコト)
そしてもう一柱、地主神として
【甕星香香背男】(ミカボシカガセオ)
が祀られている

【天津甕星・カガセオ】という神は「日本書紀」神代下に一か所のみにしかその記載は無く「古事記」には一切登場しない謎の星神である・・

神代、アマテラスが地上界もその支配下に置くべく、最強の武神「フツヌシノミコト」(香取神宮)「タケミカヅチノミコト」(鹿島神宮)の二柱を派遣した

香取神宮

 

鹿島神宮

大国主命に地上界を譲らせたいわゆる【出雲の国譲り】である
香取、鹿島の二神は葦原中国の国津神、荒ぶる神々をはじめ国中の草木石に至るまでを平定する
しかし、唯一従わない悪神が常陸国にいた
天津甕星・カカセオである


甕星香香背男、石上に登りて磐座に君臨する神霊は、魔王にして鬼であり星神であった
この悪神を討伐すべく攻め込んだフツヌシとタケミカヅチであったが、この最強の二神をもってもミカボシカガセオには敵わず退けられてしまう・・・
勝ち誇ったミカボシカガセオは、巨岩にその姿を変えずんずん大きく高くなり・・天地の神々に害をなすまでに増長した・・

甕星香香背男を抑え込んだ建葉槌命

そこで倭文神・建葉槌命(タケハヅチノミコト)が派遣された
「機織の神」であるタケハヅチノミコトは巨岩に姿を変えていたミカボシカガセオを強烈に蹴り飛ばしその岩を粉砕
見事ミカボシカガセオを服従させることに成功したのである
そして荒ぶる悪神・甕星香香背男の荒魂をこの岩山「宿魂石」の下に閉じ込めたと言われている


タケハヅチノミコトは女神とも男神とも言われているが・・最強の武神「フツヌシノミコト」と「タケミカヅチノミコト」が攻めても敵わなかった悪神「ミカボシカガセオ」をいかにして征服出来たのか・・
噺では強烈な蹴りを見舞って岩石に化けたミカボシカガセオを粉砕したと言われているが・・
こうした話は極めて男性的に思えるが・・織物の神というその女性性から考えると・・あるいは織物でくるみ込んでしまうように・・「柔よく剛を制す」的に荒ぶるカガセオを封印したのではないか・・とも思えるのである


宮田實著『大甕より久慈濱あたり』によると
建葉槌の「建」(武)は猛々しい意、葉の「ハ」は布帛(ハタ)の布である
即ち建葉槌命は武神であり織物工芸の神でもあった
そして「倭文」とは和訓で「シドリ」「シヅオリ」
倭文の地は常陸であり、那珂郡は「静」という地に「常陸国二宮・静神社」が祀られている

静神社

「静神社」の前には「織姫像」が建立されており、織物の神様であることが示されている

静神社「織姫像」

飛び散った石が落ちた場所に祀られる神社

建葉槌命に蹴り飛ばされて飛び散った石は
①海中に落ちて「おんね様」と呼ばれる磯になった
②茨城県那珂郡東海村石神「石神社」
③茨城県東茨城郡城里町石塚「風隼神社」
④茨城県笠間市石井「石井神社」
に四散して飛び落ちたと言われている
「大甕倭文神宮縁起」によると

倭文神大甕山にて悪神香々背男の變じたる大石を蹴り倒しけるに、石四方に裂けて飛び散れり
その一は海中に入り、残りの石のとどまりし所、石神、石塚、石井と云ふ

①は「御根磯」として大甕神社の東南に位置する海にあり、グーグルマップにも記されている
②は石名坂を下り久慈川を越えた東海村の川沿いに祀られていた

石神社

③は大甕神社から西方に直線距離で約22km
鬱蒼とした樹叢に囲まれてとんでもない雰囲気を醸し出すお社が祀られていた

風隼神社

④は大甕神社から西南方向に直線距離で約32kmの笠間市市街地に祀られており、境内の由緒書きには「宿魂石」のエピソードもしっかり記されていた

石井神社

また、神社のやや南方にはその宿魂石が落ちたという「御手洗」があり。そのことを示す看板も設置されていた


ちなみに笠間市の「石井神社」の御祭神は、大甕神社と同じ建葉槌命(タケハヅチノミコト)
「甕星ノ怨憤ヲ懼レ」その霊力を鎮める為にタケミカヅチノミコトを祀ったと伝わる
神社に伝わる文書によると、建葉槌命が石上(大甕)でカガセオの首をとり、手下の三将を斬ったとされる
つまり上記3つの神社が祀られている場所が、カカセオの残党を討った場所なのではなかろうか

天津甕星「カカセオ」とは何者なのか

日本書紀神代下に葦原中国には「蛍の火のように光る神」あり、と記されている
漆黒の闇であった葦原中国に怪しく光る神とは一体なんなのか?
江戸時代の神学者・平田篤胤は「ミカボシカガセオ」天津甕星とは「金星」のことだ
と説く

平田篤胤墓

明けの明星・・・
夜明け方東の空に輝く星、金星・・
全ての星の中で最も明るい光輝を放ち、一番星として最初にその姿を現すだけでなく夜明けになっても最後まで消えずに輝く星・・・
天に最初に現れ最後に去る金星
太陽神アマテラスが昇る「日立の国」において最初から最後まで輝くいわば星々の神のリーダー的存在である金星は
「最後まで服わね神」として悪神として神格化されたのではないか・・というのは私の考察である

「土蜘蛛」「國栖」考

ここで日本書紀における「土蜘蛛」に関する記載に注目してみたいと思う
神武東征の旅において

高尾張邑(たかおわりのむら)に土蜘蛛がいた
その人となりは身長が低く手足が長くて侏儒と似ていた
皇軍は葛のつるで網を作り覆いかぶせて捕らえて殺した
そこでその邑を改めて葛城とした

「侏儒」とはいわゆる「こびと」のことであるが、小柄で手足が長いらしい
高尾張邑とは奈良県御所市高天彦神社界隈かと思うが、かつて金剛山は「高尾張山」と呼ばれていた
前出の宮田實著『大甕より久慈濱あたり』によると

國津神というのは即ち天孫降臨又は出雲系の神々の渡来以前に土着していた線移住者

だといい、それを「土蜘蛛」、「國栖」(くず)と言う
上記日本書紀の記述「高尾張の邑に土蜘蛛がいた」「人となりは身は短く手足が長く侏儒に類するもの」と引用して説明している
そして「豊後風土記」に「豊後国速見邑に大岩窟があって、青・白という土蜘蛛がいた」と記載されているという
さらに直入縣禰疑野(大分県)には「打猿・八田・國摩侶」という土蜘蛛がいたと記載されているという
この5人が最も力強く頑強に皇命に服さなかったので、討伐された事が景行天皇の条に書かれているそうだ
諸説あるものの、摂津風土記の解釈によれば
土蜘蛛は常に穴居生活をしていた為、そのように称されたらしい
また、一説には天孫に反抗した異種族にのみ「土蜘蛛」が用いられたともいう
更には「熊襲」や「蝦夷」などの異種族に用いられたという説もある
もうひとつの「國栖」(くず)は、國栖族(國主・國巢)という異種族が吉野川のほとりに剣俊、谷深い所に住んでいたという
神武天皇が吉野山に入った時、尾がある人に会ったが、それが國津神石押分の子で「これが吉野の國栖の祖である」と古事記に記載されているそうだ
「國栖」→「クニズミ」(クニスミ)
即ち前々から国に住んでいた人、の意か?
「國主」→「クニズ」、「クニヌシ」、つまり「地の人」

甕星香香背男は「國栖人」であって「土蜘蛛」か

日本書紀に

天に悪神あり、名を天津甕星またの名を天香々背男と云ふ

とある
このカガセオとは、つまり「國栖人」であって、穴居していた「土蜘蛛」であろう
と『大甕より久慈濱あたり』には書かれていた
思うにこの地方の「久慈」の地名は「國栖」(クズ)が訛って変化したものではないか、と
(昔は岬のことを「クシ」と言ったので、あるいは「久慈」の起因かも知れず諸説ある)
また、俗説においてカカセオとは「こうらざめ」を言うもので、つまりは「ワニ」にことを言う、とする説もある
「ワニ」と聞いてついつい連想してしまうのが「因幡の白兎」である
ワニに皮を剥がされてしまった白兎は、大国主命に助けられる
大国主命は葦原中国のかつての支配者であり、「出雲の国譲り」で葦原中国の支配を天孫に譲った神様である
この俗説を思う時、そこにまた新たなミステリーを呼び込む思いがし・・その興味が尽きることはない
ミカボシカガセオは日本において唯一の星神と言われているが、フィリピンでは星神は祟り神として恐れられている

甕星香香背男ついては今後も考察を深堀していきたいと思う

ミカボシカガセオを祀る「甕星香香背男社」

大甕神社の主神は武葉槌命にて宿魂石の上の本殿に祀られているが、
甕星香香背男にも参拝したい、というファンの強い要望も多かったとして
近年新たに【甕星香香背男社】も建立されお祀りされている

甕星香香背男社

 

この「甕星香香背男社」には非常に興味深いマークが刻まれているのだ

 

甕星香香背男社に刻まれるメノラー

 

これはイスラエル民族のシンボルである「メノラー」(燭台)である・・・
杣浩二氏によればメノラーは古代イスラエルとアジア大陸、日本との繋がりを明確に示す証拠であるという
古代イスラエル人が何波にも分かれて大陸、半島を経て列島に渡来
物部・曽我・秦などの民族として日本に同化しているという
これはまた、スサノオノミコトが伝えた縄文の叡智でもある「光一元」の原理をも表し
「常陸国風土記」における「日高見の国」が五色人にとっても母国でもあり、世界文明発祥の地でもあるという・・とてつもなく広くて深い考察が出来るのである・・・

毎年7月7日には「甕星祭」という霊祭が執り行われるそうだが・・
夜の甕星香香背男社は日中よりも雰囲気が出ていて鳥肌が立つ思いに至る

夜の甕星香香背男社

 

いわゆる「見える人」?「聴こえる人」に言わせると・・
こちらでミカボシカガセオからメッセージが告げられたと言っていたのが興味深い

おわりに

ということで茨城県日立市に鎮座する「大甕神社」と
「天津甕星香香背男」にまつわる超古代・星神王朝ミステリーの考察をしてみた
しかしながら結局のところその謎は闇の中である・・
掘れば掘るほどその考察も尽きることがない部分もまた、大甕神社の大きな魅力と言える
そうした歴史には特別ご興味が無いという方にも・・純粋に強力なパワースポットとしての参拝もたのしめると思うので、ぜひ訪れてみていただきたい茨城県の神社である

境内から見上げる空に、星が輝く・・・

最後までお読みいただきありがとうございました
感謝してます
ええじゃーなる@茨城2025