歴史 PR

京都駅を起点に巡る【新選組巡り】|不動堂村屯所と西本願寺|

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

こんにちわー

かれこれ18年程、全国各地の幕末史跡を巡り歩いて来ました幕末マニアのうめじろうです!

今回は幕末ファンの筆者が、京都駅を起点に徒歩約2時間程度で巡る【新選組巡り】をご案内いたします(^^)
「新選組まぼろしの屯所」と呼ばれる「不動堂村屯所」を探訪し、西本願寺屯所から油小路を歩くコースです。
新選組・幕末ファンの方はもとより、一般の方にも京都観光の一助になっていただけたら幸いです(^^)

1.ハトヤ瑞鳳閣「新選組洛中最後の屋敷跡碑」

ハトヤ瑞鳳閣の京都駅側の一角に「此付近 新選組洛中最後の屋敷跡碑」があります。
これはオムロン京都センタービルの建設工事時に、幕末遺構と見られる溝が見付かったことから、新撰組の不動堂村屯所の「掘」ではないかとして碑が建てられたものです。

新選組の「不動堂村屯所」は、結成時の「壬生」、組織が拡大し手狭になって移転した「西本願寺」、そして僅か半年足らずの使用期間となった「不動堂村屯所」の合わせて三カ所に置かれました。

特にこの「不動堂村屯所」の所在ははっきりせず、専門家の間でも諸説唱えられています。
京都駅西側の七条界隈がその不動堂村屯所があったであろう場所であり、新選組ファンなら興味深いところです。

2.明王院不動堂

「不動堂村」の名前の由来となった不動堂です。
油の小路沿いの明王院は、恐らく当時の新選組隊士たちも訪れていた場所になりましょう。

「新選組まぼろしの屯所」という提灯が掲げられていました。
不動堂村屯所が置かれていた期間が非常に短かったことと、その所在がはっきりしないこともあって、不動堂村屯所は「まぼろしの屯所」と呼ばれています。

3.資生堂京都ビル界隈

西村兼文『新撰組始末記』(明治22年)による説。
ここまでが堀川通りを境にして東側に位置します。塩小路通りを挟んであっちかこっちか、といったところですね。

4.上夷町・タキイ種苗界隈

歴史地理史学者の中村武生氏による説。「雑色五十嵐氏記録」によるもの。
雑色とは所司代・町奉行の下にあった役人とのことで、特に警察権の行使に当たった役人のようです。五十嵐氏の記録には幕末期の諸事件の事も報告されているようです。
2019年に中村市が発表した説ということで、新説となりましょうか。

5.元京都市立梅逕中学校界隈

こちらも新説、2019年に「日野市立新選組のふるさと歴史館」元館長・藤井和夫氏が発表した説。
西本願寺の資料をもとに提唱されたようですが、しかしながら同年、同じく西本願寺資料に「諸日記慶応三丁卯年三月」を発見されこの説を撤回しました。
資料には新選組屯所の移転先として、西九条村に土地を買い入れ「場所は字松明田」(現在の松明町)と書かれていました。下京区松明町とは、現在のリーガロイヤルホテルが建つ場所になります。
リーガロイヤルが建つ場所は、幕末には不動堂村ではなく「西九条村」だったことから藤井氏は「不動堂村屯所」ではなく「西九条村屯所」と呼ぶべきと提唱されています。

6.リーガロイヤルホテル京都

歴史家の寺井万次郎が菊屋峯吉から聞いた場所。慶応3年(1867)6月15日に新選組屯所は西本願寺からここ、西九条村松明町に移転したとされています。明治17年にはこの場所で、一目で屋敷構えの濠と見られる水路も発見されているそうで、信ぴょう性が高そうです。

ホテルの玄関前の敷地には、「不動堂村屯所跡碑」も建てられています。
こちらの碑は2002年に建立されたそうで、2002年と言えば大河ドラマ「新選組!」の放送の前年ですね。いやはや・・大河ドラマ効果の凄さを改めて実感いたします^^;
そして碑を建立されたのは、著書も多数でよく幕末番組にも登場しておられる霊山歴史館学術アドバイザーの木村幸比古氏。
木村先生は居合の達人でもいらっしゃるので、個人的には居合目線からの「龍馬暗殺」の検証がとても真に迫る気がしております。
ちなみに私も2019年~京滋に居住して以来、霊山歴史館の会員としてお世話になっております(^^)

7.近藤勇妾宅跡

元小学校の敷地でしょうか。
近藤勇の妾、「お考」宅跡ということですが、堀川通りを挟んだ向こう側だったという説もあるようです。「お考」は「お勇」という近藤の娘を生みました。

近藤勇の妾宅と言って思い起こすのは「油小路の変」ですよね。伊東甲子太郎が暗殺された事件です。
あの日、伊東は近藤に招かれて、ここに来ていたんですね。
最後に本光寺(伊東甲子太郎殉難之地)にも寄りますが、ここから夜道を歩いて帰ったんだな・・という臨場感が味わえますので、ぜひこちらも歩いてみてください(^^)

8.原田左之助寓居跡

新選組十番隊組長・原田左之助寓居跡。エネオスのスタンドのあたりですね。
原田左之助は、慶応元年(1865)春頃におまさと祝言を上げてこの辺りの借家に住んだそうです。近藤勇の妾宅の並びですね。

9.興正寺

紀州藩主・徳川茂承が宿泊していた寺。(写真が工事中のしかなくスミマセン・・)
茂承は近藤勇をここへ呼び、紀州藩士・三浦休太郎の警護を依頼したそうです。
三浦休太郎は幕末ファンならご周知、「いろは丸事件」で海援隊と揉め、多額の賠償金を取られた恨みから、坂本龍馬を暗殺した黒幕ではないかとの疑いを持たれ当時海援隊士達から狙われていました。
これもこの後、「天満屋事件」「中井庄五郎遭難之地」を巡ります。
また、興正寺には禁門の変時に、敗走してきた長州の金剛隊6人が逃げ込んできた、という逸話もあるようです。

10.西本願寺

慶応元年(1865)3月10日、屯所が壬生から西本願寺に移転されました。
こちらは幕末・新撰組ファンならずとも誰もが訪れる観光スポットのひとつですね。

北集会所は200畳もある巨大な建物だったそうですが、現在の西本願寺のブックセンター側にあんりましょうか。
太鼓楼もあることから、隣接していた気がしますね。

当時から残る「太鼓楼」。
新選組隊士達も間違いなく見ていたものでしょう。

慶応元年(1865)閏5月下旬に、幕府典医の松本良順が北集会所を訪れたところ、隊士の総勢約170~180名のうち実に1/3が病人で裸体で寝ていたそうです。

こうした環境の改善の為に副長の土方は、手狭だから阿弥陀堂の一部も貸してほしい旨願い出たという話も有名ですね。これに対し本願寺側は北集会所の改修をし、壁を取り外して風通りをよくしたなど、今のこのご時世にあっては非常に臨場感のある逸話にも思えます・・。

ところで本堂の板敷には廊下の板の補修をした痕が散見されるのですが、ちょっと注意深く見てみてください。
お魚だったり

瓢箪だったり。
当時の宮大工さんの遊び心といいましょうか、参拝客を楽しませる心意気にとてもほっこりした気分になれて楽しめます(^^)

11.永倉新八妾宅跡

永倉新八が住んでいた場所。
元道民の私には新選組隊士の中でも思い入れのある永倉新八ですが、島原遊郭の芸妓「小常」とここに住んでいたそうです。

小常との間には女児があり、名は「お磯」。杉村家蔵資料をみますと「岡田磯子」とあります。
永倉新八「新撰組顛末記」に、大政奉還後の鳥羽伏見の戦いへとなだれ込む頃、愛娘との別れのいきさつが書かれていましたが、涙を禁じ得ません・・。

12.中井庄五郎遭難之地(天満屋騒動跡)

慶応3年(1867)12月7日、坂本龍馬を暗殺した犯人を、紀州の三浦休太郎だと思い込んだ陸奥陽之助(宗光)ら16人が天満屋を襲撃した事件ですね。
この時、新選組の斎藤一や大石鍬次郎、宮川信吉(近藤甥)ら10数名が三浦を警護していました。
龍馬と懇意だった十津川郷士の中井庄五郎が闘死。新選組側では宮川信吉が落命、三浦は重傷を負ったものの一命をとりとめました。

13.「北小路の変」現場

この辻は天満屋騒動の際、事件を聞き付け不動堂村屯所から駆け付けた新選組と、同じく西本願寺から駆け付けた紀州藩の応援部隊がお互いに敵と勘違いしてしまい、斬り合いになってしまいました・・。
何の変哲もない道路の交差点ですが、幕末ファンにとってはいろいろ「見ちゃう」んですよね^^;笑

14.油小路七条の辻

ここの道路こそ幕末ファンには有名な場所ですね!笑
慶応3年(1867)11月18日、近藤勇の妾宅に招待された御陵衛士の伊東甲子太郎は、その帰りの油小路で暗殺されました。
暗殺された伊東の遺体がこの辻に放置され、引き取りに現れた御陵衛士を待ち伏せした新選組が一網打尽にすべく襲撃。壮絶な斬り合いとなった現場です。

「魁先生」と呼ばれた藤堂平助の悲話の舞台でもあります。新選組の物語には必ずと言っていいくらい登場する場面です。

15.「油小路の変跡」(伊東甲子太郎他数名殉難之跡)

伊東甲子太郎が暗殺された本光寺の前に碑が建っています。

16.本光寺

こちらの門をくぐった所に慰霊碑が建てられていました。

本光寺には伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内監物、服部武雄のご位牌が安置されていました。
幕末の動乱期に思いを馳せ・・・合掌ー。

さて、本光寺を辞すといたしましょう。
本光寺から京都駅までは徒歩で約7~8分程度です。

お疲れ様でした

ということで、今回は京都駅を起点として約1.5~2時間程度徒歩で巡る新選組巡りといたしまして、「不動堂村屯所~西本願寺、油小路の変」を巡るルートをご紹介いたしました。
新選組、幕末ファンなら、京都に行ったらぜひ巡りたい場所ですよね!

今回は京都駅から歩いて、京都駅に戻って来るルートですので、
明日の午前中はフリーだな・・とか、帰りの新幹線までに1~2時間あるな・・といった時にちょうどよく新撰組巡りを楽しんでいただける内容かと思います。

メインで京都・新選組巡りをされる方はもとより、ちょっと空いた時間に新選組ゆかりの場所を巡ってきたけど、振り返ってみるとあれが案外印象的だったかも!と思っていただけたら嬉しいですね(^^)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です