茨城県水戸市松本町にある「回天神社」の境内にある
【回天館】を訪れました
元治元年(1864)筑波山で挙兵した「天狗党」は上洛し尊皇攘夷の志を訴えるべく西上します
しかし天狗党が頼みの綱とした徳川慶喜は天狗党の討伐を指示、福井県の敦賀市で天狗党は投降しました・・・
天狗党は敦賀の鰊倉に監禁し・・劣悪な環境下で病死する者も多発・・そして実に352名が処刑されるという凄惨な歴史が残っています・・・
そんな幕末の事件の遺構が遺されていました
今回はその「鰊倉」を訪れました
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水戸市の「回天神社」の境内に残されている鰊倉は、昭和33年に敦賀市から水戸市の「常盤神社」に移築されたそうですが、平成元年にこちらの回天神社の境内に再び移築されたようです
現在では「回天館」として天狗党関連史料の展示が行われています
開館しているのは平日の水・木と、週末の土日のみで
10:00~14:00と日時が限られていますので、お出掛け前に情報をご確認された方がよさそうです
入館料は無料
当時天狗党が監禁されたという鰊倉の中に、天狗党関連の史料や桜田門外ノ変における関連資料などが展示されていました
天狗党の行軍の経路が示された図が掲げられていました
大子を出発し中山道を行ったんですね・・しかし幕府の天狗党討伐令にて厳重警戒された琵琶湖東岸を抜けて上洛するのは無理だと判断したのか・・揖斐宿からは北上するルートを採ったようですね・・
しかし越前新保宿(福井県敦賀市)まで至った一行でしたが・・天狗党は慶喜公が自分たちの声を聞いてくれるものと期待していましたが・・当の慶喜は幕府軍に討伐を命じており失意のうちに投降します・・
そしてこの鰊倉に閉じ込められてしまいました・・
「回天館」の前に掲げられた説明によると
敦賀港にあった十六棟の鰊倉をにわか仕立ての牢獄とし、一棟あたり約五十名を幽閉し、言語に絶する扱いのあげく、元治二年(慶応元年)二月四日からこの二月中、五度にわたり352名をこの倉から引きずり出し斬首という、わが国未曾有と云われる斬刑に処したのである。
とありました
当時、幕府側の開明派勝海舟や、尊攘派の巨魁西郷隆盛は
「これによって幕府自身の命運がつきた」
と評した通り、この虐殺から三年後、徳川十五代将軍慶喜公の幕府は倒れ、明治維新の夜明けを迎えたのである。
この天狗党ノ変の悲劇から100年後の昭和33年、敦賀港の整備事業によって鰊倉は解体処分されることになったそうです
水戸の先人たちはその消失を惜しんで・・天狗党ゆかりの建物としてその一棟を水戸常盤神社境内に移築し、「回天館」と名付けました
その後再び老朽化による解体の状況に陥ったものの・・有志によりここ、回天神社の境内に移築され現在に至るようです
倉の板壁には水戸烈士の絶筆も残されていました・・・
何と書かれているのか分かりませんが・・「叶」という字は分かります・・・
この時捕らえられた天狗党員は800名以上とも言われていますが・・・
これが水戸に伝わるとその天狗党の家族も・・いわゆる「女子供」もことごとく処刑されたようです・・
水戸に伝わる幕末の凄惨な歴史ですね・・・
鰊倉からは「水戸殉難志士の墓」が見えておりました・・・
この天狗党の処刑の際には、首切り役を彦根藩士が志願したと言われ・・「桜田門外ノ変」で暗殺された主君の無念を晴らすという事もあったのではないでしょうか・・・
ということで今回は、水戸天狗党ノ変、敦賀で幽閉された鰊倉を訪れました
最後までお読みいただきありがとうございました
感謝してます