安中市の【新島襄先生旧宅】は「ご家族の旧宅」だった
群馬県安中市に安中市指定史跡【新島襄先生旧宅】があります
新島襄と言えば江戸と函館と京都・・というイメージを持っておりましたが・・
安中藩士とは言え安中には当時家があったワケでもなく全然滞在していなかったのでは?
との疑問が湧き実際に訪れてみた記録です

安中市指定史跡「新島襄先生旧宅」
安中市内の非常に狭い路地の込み入った住宅街に【新島襄先生旧宅】はありました
旧宅の脇には駐車場も完備されており、車で安心して行く事が出来ます
ただしここに至るまでの路地が非常に狭いので運転には注意が必要ですね
敷地には公衆トイレも設置されていて、最初私の他にも見学者がおられると思ったらそのトイレを利用する為だけの人でした^^;
こちらが【新島襄先生旧宅】です
お庭を拝見し、家屋の中を覗いていたら係りの方が迎えてくださいました
中に上がらせていただき見学いたします(観覧無料)
こちらが新島家の旧宅だそうです
元々はもうすこし東側?の地域にあった家屋をこちらに移設して保存しているようです
係りの方がご案内くださって隣接する史料部屋までご案内くださいました
失礼ながら誰もいない勝手に見学するだけのものだと思っていたので^^;驚くと同時に有難かったです
そもそも新島襄は安中にいたの?
私の認識では新島襄は江戸のお生まれで・・アメリカから帰国後に京都で同志社を創立する・・
安中には在住したことは無かったという認識です・・
調べてみると天保14年(1843)江戸の安中藩上屋敷に生まれ青年期までずっと江戸の藩邸で暮らしていました
江戸で生まれ育ち、函館からアメリカに密航し、帰国後は京都で同志社を創立、という経歴で安中藩士と言えども一度も安中にはお住まいになられていないのでは?というのが私の認識です・・
また、ご実家(の家屋)というのであればご両親が・・とも思うのですが・・ご両親共々江戸で暮らしていたのでは?と思うとちょっと「旧宅」というのがいまいちピンときません・・
アメリカに渡る前に初めて訪れた安中
そんな新島襄が初めて安中を訪れたのが万延元年(1860)、安中藩主・板倉勝殷が参勤交代で江戸から本国の安中へ戻る際、そのお供として同行したようです
これは函館からアメリカへ密航する4年前になりましょうか・・
しかし安中に実家(家)がある訳でもなく・・藩主の身の回りの世話や職務として江戸から安中城下へ赴いたものでここでも「旧宅」との関係性が不明です
そもそも彼にとってこれが初めての「安中」でしょうから・・藩士とは言え実際の暮らしとは無縁の言わば「お出掛け先」といった感覚の方が強いような気がします・・
アメリカから帰国後に安中の「旧宅」に滞在する
ようやく新島襄と安中の「旧宅」が結びつくのがアメリカからの帰国後です
明治7年(1874)横浜に到着した新島襄はすぐさま安中に向かったそうです
何故?ご両親が安中にいらしたからなんです
時は幕末・・明治維新が起き江戸の藩邸は引き払われ、江戸にいたご両親は安中に移住されていました
それが今回訪れた【新島襄先生旧宅】であり、新島襄本人も3週間ほどここに滞在したそうです
この時にはご家族が待つ場所は江戸ではなく、安中だったんですね
ご家族と再会した部屋がまさにこちらの部屋にて、市で大切に保存されておりました
安中市ゆかりの偉人を大切にしている施設
新島襄がアメリカから帰国後にご家族と再会した部屋の奥に、新島襄にまつわる資料が展示されている部屋がありました
こちらの部屋はどうやら旧宅に増築された部屋のようで・・資料の展示や管理の為に増築されたのでしょうか・・
元々の「旧宅」は先ほどのお部屋だけのようです
こちらの絵が、そのご家族との再会時の様子を描いたもののようです
新島襄がした妙義山のスケッチが展示されていました
やはりこちらでは妙義山が神宿る山として古から信仰されているんだなあ・・と実感いたします
まあ幕末なんてそういう歴史から見たら「ついこないだ」ですけどね^^;
新島襄と言えばNHK大河ドラマ【八重の桜】を思い出す方も多いことと思います
会津藩の砲術家の家に生まれた八重と、京都で出会った新島襄はその「ハンサムウーマン」ぶりに惚れ結婚しました
同志社を創立する強力を得ていた八重の兄、山本覚馬の屋敷に出入りする中で八重と出会ったのでしょう
あの時代に函館からアメリカに密航するくらいの人ですから、同じく「幕末のジャンヌダルク」とも言われたあの時代においては他に類を見ないような女性、男勝りではっきりとモノを言う自立した女性と波長があったのでしょう
当時の日本人としては先覚的な夫婦として、互いに尊敬しあった夫婦であったんだろうと思います
こちらはその「八重の桜」の出演者が使用した草鞋?だそうで・・
その出演者が置いていった、のではなく
出演者が使用した草鞋を所有していた人が寄贈していった草鞋だそうです
ややこい・・^^;
旧宅の北側にはなんと古墳が!
旧宅の北側が本来の入り口だそうでして、こちらがその様子です
そして北側のお庭も見学して帰ろうと思ったら・・・
なんと!ここは古墳でありました(;゚Д゚)!
まさかお庭に古墳があるなんて・・・
実際にはもともと古墳があった場所の横に、「旧宅」を移設してきたというのが正しいんですよね^^;
最後に
ということで今回は群馬県安中市にある【新島襄先生旧宅】を見て参りました
たしかに安中藩士の新島襄とは言え、はて安中にゆかりの旧宅などあったかな?という疑問がありましたが・・なるほど紐解いてみればご両親の、ご家族の「旧宅」が保存されていた、ということでございました(^^)
安中藩士でも安中にはまるでゆかりが無いように思っておりましたが
今回安中市の【新島襄先生旧宅】を訪れて新島襄もまた一般の人と変わらない家族の絆に触れ、とても有意義なものとなりました
最後までお読みいただきありがとうございました
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